早い話が、十数年前に出会った時は面白い知識としてしか自分の中に取り込まなかった概念が、今再び対面してみると、どういうことか強烈な不安と焦りと混乱を引き起こしているらしい。俺はなぜか涙を流し、何かにすがろうとし、何にすがれば良いかも考えられずまた涙を流し震えている。なんとか振りほどいて逃げられないかと考えている。

人が知性と呼ばれるものを手に入れたのは、「神」の存在に気付いた時だ。それは同時に「疑う」という事を知った時だろう。神という概念が出てこない文明など、どこにも存在しない。「文明」という言葉が何を指すのかは分からないが。

俺はどんな宗教の信者でもない。しかし神と呼ばれる存在は信じている。それが実在なのかは、俺にとって、もはや問う意味さえない。宗教というのは神をどう表現するかというだけの問題だ。

人は徐々に神と呼ばれるものを排斥することで科学を発展させてきた。しかしそれは大局的に見れば神を解剖しているのと同義だ。今から何千年何万年かかろうが、決して到達出来ないところを科学は目指している。コップに注がれた水の数は決して数え上げられないのだ。

そして究極的に自由な科学は、数だ。数は全ての物理的現象から完全に解き放たれて自由だ。例えば「1」という数字はそれ単体ではまったく何の意味も持たない。しかし、それでいて今の科学ではこの「1」という数は全ての物理現象を表現する時の根本だ。
つまり数とは究極に自由な言語だとも言える。

今日、「哲学」と訳される言葉と「数学」と訳される言葉は同時に生まれている。「考えること」と「考える対象」という言葉だったらしい。

全てから自由である「数」は、しかしそれ自体を否定する性質を持っている。人はその否定を覆すことが出来ない。

何を間違えた?
何を信じればいい?
神の衣の眩さに、俺の目は潰されたのだろうか。

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K

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