誰か助けてくれませんか
2004年7月26日完全にやられてしまいました。
軽いうつ状態ですが、そんなのどうでもいいです。
正気を保つことで精一杯ですが、その正気を何に使ってるかというと、狂気をゆっくり育むことなのかもしれません。そもそも正気と狂気のどこに違いがあると言うんだ!?
改めて、「知識」と「考えること」とはまるっきり違うことだと思い知りました。
俺の家族の生活を支えること、あらゆる形で触れ合った人々を思うこと、俺を捕えた概念、そこから発展させてしまった考え、俺の知らない過去を振り返ること、「果たして未来とは?」
絶対的な無に恐れを抱くことはありませんが、絶対的な有はあまりに大きすぎました。人の手に負えるものではないかと。
事実は事実として認識しておくだけで良かったのかもしれません。少なくとも僕には。
おそらく今後、僕は3つの可能性から1つを自然と選ぶことになると思います。「自己防衛本能」というものがあるのなら、そいつはどれを選ぶでしょうか。
目を背ける。
それを狂気と呼ぶなら狂気の世界で暮らす。
自分自身への絶対的無という操作を行う。
1番が選択されることを祈ります。多分1番を選択しようとして、出来ずに悩むでしょう。でもそれが一番楽なんです。他の選択肢は大事な人を悲しませるかもしれない。でも2番が一番魅力的なのは明らかなんです。
「科学的に生きることの矛盾」を素直に受け入れられるほど俺は器がでかくなかった。ただそれだけ。
なら、俺はどうする?
軽いうつ状態ですが、そんなのどうでもいいです。
正気を保つことで精一杯ですが、その正気を何に使ってるかというと、狂気をゆっくり育むことなのかもしれません。そもそも正気と狂気のどこに違いがあると言うんだ!?
改めて、「知識」と「考えること」とはまるっきり違うことだと思い知りました。
俺の家族の生活を支えること、あらゆる形で触れ合った人々を思うこと、俺を捕えた概念、そこから発展させてしまった考え、俺の知らない過去を振り返ること、「果たして未来とは?」
絶対的な無に恐れを抱くことはありませんが、絶対的な有はあまりに大きすぎました。人の手に負えるものではないかと。
事実は事実として認識しておくだけで良かったのかもしれません。少なくとも僕には。
おそらく今後、僕は3つの可能性から1つを自然と選ぶことになると思います。「自己防衛本能」というものがあるのなら、そいつはどれを選ぶでしょうか。
目を背ける。
それを狂気と呼ぶなら狂気の世界で暮らす。
自分自身への絶対的無という操作を行う。
1番が選択されることを祈ります。多分1番を選択しようとして、出来ずに悩むでしょう。でもそれが一番楽なんです。他の選択肢は大事な人を悲しませるかもしれない。でも2番が一番魅力的なのは明らかなんです。
「科学的に生きることの矛盾」を素直に受け入れられるほど俺は器がでかくなかった。ただそれだけ。
なら、俺はどうする?
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